一歩

思えば20年間、僕は同じところをぐるぐる回っていたように思います。

いい加減、前に進もうとしたときもあります。しかしぐるぐる回っていた僕には、どの方向が前なのか、分からなくなっていました。ほとんどの場合、前に進もうとして明後日の方向に進んでしまったり、逆に後ろに戻っていたりしていました。

今でもそうです。一体どこに向かえば前に進んでいると言えるのか分かりません。

ただ、誰かに引っ張って行ってもらったり、リードしてもらおうとは思っていません。

絶対的な価値の存在を認めていないからだと、自分なりに思っています。

そして絶対の反対が相対だとも、最近では思わなくなってきています。相対を認めた時点でそれは絶対なのではないかと思うからです。

 

それでもなお、前に進むということがどういうことか考えると、おそらく分かりやすいのは、地位や富や名声を得ることだと思います。これらを得られた時、前に進んだという実感が得られるのではないかと思います。

 

いやいや俺は違うんだ、きちんとした仕事を持って家族を養うことが喜びだ。

そうよ私も子供を産み育てて、立派な大学に入れてきちんとした仕事に就かせることが喜びなのよ。

 

こういうことを言い出すと、異論反論が噴出するでしょうし、少なくとも小さな反感や若干気分が悪くなるという人が続出するでしょう。

しかし、そう感じてしまうことが、本当に前に進んでいる人とそうでない人の感じ方の違いなのだと思います。

 

僕が言いたいのは、皆と同じレールに乗って進むのと、前に進むとういうのは違うということです。もっと言えば、人生において前に進むというのは、別次元の話です。分かりやすく地位や富や名声を得ることが前に進むこと、と言いましたが、それは違います。

前に進むというのは、受け入れるということです。都合の悪いこと、耳の痛いこと、不愉快なこと、そういう一切合切を受け入れ、また受け入れられないことを受け入れるということだと思うのです。

すると、一瞬、視界がクリアになります。

その足で踏みだした一歩が、前なのだろうと思います。