あてもなく書く

煮詰まってくると僕はよく散歩に出かけます。そして近くのショッピングセンターに入って、フードコートで一息つき、もしくは110円のコーヒーを飲んだりして、家に帰るのですが、だからと言って物凄いアイデアが湧いたりした経験は一度もありません。アイデアは、静かにひとりで机に向かって原稿を書いている時以外に湧いたことは無いですし、湧いたアイデアも、当初はアイデアであることにすら気づいていないことがほとんどです。「もうだめだ。今日はこれまでにする」とか「ちょっとあたまを冷やさないとだめだ」となって、原稿から少し離れて、何時間もしくは一日くらい経って読み返したときに「これはこれで悪くないな」となることが多いです。

ブログを書いているときも、そうかもしれません。

ブログを書いている感じと小説を書いている感じは、僕の中で全く違います。ブログから小説のアイデアを得ようとは考えていません。ブログではただ、独り言をぶつぶつ言っているだけです。小説はというと、まだ「小説とはこれだ」という明確な答えというか、自分の中の軸みたいなものを獲得していないので、何とも言えません。ただ、ブログでは実験的にものを書いてみています。「あてもなく書く」ということをしています。

先程、「ブログから小説のアイデアを得ようとはしていない」と言いましたが、「ブログを書くことでなにか小説の助けになることはないか」ということは考えています。それが、「あてもなく書く」ということです。プロットもオチも何も無いなかで、どのように書くか、それは小説を書いていく上で僕がいつもぶつかる壁です。どうやっても先に進めない。いや先に進む方法は見えているが、ありきたりでつまらない。では後ろに戻って出直すか。どこまで戻れば良いんだ。というようにあたまが大混乱してしまいます。ブログでは、大混乱しながらも進む、という書き方を取っていて、ほとんど削除することはしません。

あてもなく書く、という行為も、やってみると中々難しいもので、「狙わないことを狙う」みたいな自己矛盾に陥ります。まぁ、哲学的な事は今回は置いておきますが、無駄な事を書いてみるというのも実は骨が折れるものだ、ということです。よく散歩に行く、と冒頭で書きましたが、ショッピングセンターのフードコートほど目的が無いと居られない場所はありません。大体のテーブルが少し汚れています。そして椅子は固いのか柔らかいのか分からないのが多く、座る人の方針が決めにくいのです。決定権はフードコート側にあります。「ベンチよりゆっくりしていっても良いが、うちはレストランじゃないんでね」というように、最後は何だがむずむずして立ち上がって帰る、という感じです。あてや目的が無いと、人間は中々落ち着かないみたいです。