秒針

 言葉というものの切れ味というのは、相当なものです。

 五感、あるいは第六感で感じたもの全てを、ただ一つのもの以外残して、すべて捨て去るという特性を持っているからです。

 

 人が何か言葉を発する時、それは起こります。

 その言葉で表現されたもの以外は、すべて捨てされれます。これほど切れ味鋭いものは、他にあるでしょうか?

 

 「曖昧」とか、「ふわっとした感じ」とか言っても、それ以外のものは全て、表現されません。

 

 僕たちは、言葉では言い表し難い世界を生きています。全てが途切れることなく連続していて、相互に関係しあっている世界を生きています。それを人は認識することができません。なぜなら、認識という意識を働かせること自体、それ以外のものを捨て去る行為だからです。つまり、人類は一度たりとも世界を世界として捉えた言葉を発したことが無いのです。

 

 いま、僕の部屋で時計の秒針がチクタクと音を鳴らして時を刻んでいます。

 この一秒と一秒の間に、無限の時間が流れていると思うと、今までの時間の感覚が正しいものだったと、果たして言えるだろうか?そう思いながら、西の空に日が落ちるのを眺めています。