ある書店員の一日 その二

 店長以下、社員は、僕と、長年のアルバイトから社員になった田中さんの3人だけだ。他はパートのおばさんが2人と学生アルバイトが数名で、あとは、どこかの会社を定年退職してきた川端さんが週に3日、返品する本の箱詰めを3時間だけ手伝いに来る。

 そこに、今月から37歳のフリーターが入った。

 「K大学出てから、N証券に勤めたんだって。でも半年で辞めて、その後はね、新聞配達と居酒屋のバイトを掛け持ちして東京で何とか細々と暮らしてたらしいの。だけど、お母さんが病気になったとかで、帰ってきたんだって。まぁ、嘘は言ってないように見えたわ」

 店長はパソコンの前に座り、本部からのメールにカタカタと返信を打ちながら背中でそう言った。僕は傍らで立ったまま、そのフリーターの履歴書に目を通していた。何故こっちでは新聞配達と居酒屋のアルバイトをしないのだろう?そっちの方が時給は良いはずだ。書店のアルバイトなんて、最低賃金に毛が生えたようなものなのに…

「『ライ麦畑で捕まえて』が愛読書なんだとさ。それ聞いた時は一瞬で、落としたろと思ったけど、中学から大学まで柔道部だったって言うから。柔道部とかって、あれでしょ?上下関係とか厳しかったりするから、バイトさせても扱いやすいってよく聞くじゃない?でも矛盾してるわよねぇ、愛読書が『ライ麦畑でつかまえて』なのに。よく10年間も規律正しく柔道なんて続けて来れたなぁって。そう思わない?どうせあれだわ、変人だわ。まぁ、ガタイが良かったから採用にしといたけど。これから朝の新刊の開梱と陳列の作業は、こいつにやらしときゃいいわ。明日から来るから、すぐに辞められないように、表向きは、おだてて使っちゃおう。なんたって、フリーターは貴重な調節弁だからね」

 そう店長は言うと、じゃあ私は銀行に両替に行ってくるわと言って出て行った。僕は持っていた履歴書を店長の机の上に放り投げ、売り場に出た。

 

 売り場はいつも僕を、『模範的書店員』という型にはめてくれる。どんな客への対応も、これまでの15年間の勤務を通じ、頭の中にマニュアル化されている。客への対応だけではない。アルバイトやパートさんへの仕事の教え方も、いろんな人に何十回、下手すりゃ百回ちかく同じことを教えているうちに、誰にでも一回で覚えてもらえる共通の教え方というものが身に付いた。本や本棚といった、長方形以外の形のものがほとんど無いものに囲まれているという、他の業種にはあまり無いであろう書店の特性は、いつの間にか僕の思考回路までをも直線的で直角的にしたようだ。

 レジで会計を済ませた身なりの良いおばあさんが、どうもありがとうね、と礼を言って商品を受け取って行くときに返すお辞儀の角度と、クレームをつけてくる(大体60代から70代のおじいさんが多く、レジに向かって歩いてくる、その歩き方でもう、それとわかる)客への、申し訳ございません、と言うときのお辞儀の角度は、それぞれ違う。後者の方が15度ほど深くお辞儀をする。それは、区別することで客にこちらの気持ちの違いを伝えるという本来の目的よりも、区別することでこちらの気持ちの整理をつけるという意味の方が実感として強い。レジでの接客の際に沸き起こる感情は一回一回整理され、捨て去られ、次の客を「いらっしゃいませ」と笑顔で迎える。レジに立つ書店員の背後は、そうやって吐き捨てられた感情が渦を巻いている場所なのだ。

 レジ前に客が大勢ならびはじめると、社員の僕もレジ応援に立つ。学生アルバイトやパートのおばさんによって作り出された彼らの背後にあるその渦を、切り裂くように僕は颯爽と駆け付け、早撃ちガンマンよろしくレジを打ち、決まったセリフとお辞儀の角度でケリをつける。

 円は描かない。点と点を最短距離で結ぶ、それが書店員なのだ。