ある書店員の一日

 朝5時50分に起き、7時のバスに乗って出勤する。

 就業開始時刻は8時からだが、それではとても開店までの作業が終わらないので、7時半から作業を始める。その為には、この時刻のバスに乗るしかない。

 まず、毎朝、カゴ車2台分の新刊と雑誌を1階からエレベーターで上げる。僕は新刊の担当だから、大体、段ボール10箱分の文庫本やコミック、新書を「本日の新刊」のコーナーに並べる。

 その前に、前日分をラックに戻すのだが、優に200冊以上はあるので、この時点で、もはや汗だくになる。ユニクロのスポーツ用のTシャツは、汗を素早く気化させてくれるので、とても重宝する。

 新刊の入った段ボールを開封すると、伝票が入っている。そこには本のタイトルと冊数が書かれていて、僕は伝票と現物の突き合わせをする。中には、奇をてらったタイトルの本や、とても口に出しては言えないようなセクシャルなタイトルの本があり、作者と出版社とのタイトル付けの打ち合わせの光景を想像すると、思わず口元が緩む。

  新書を「本日の新刊」の棚に並べる際は、冊数の多いものは平積みし、少ないものは『面陳(めんちん)』する。本棚に表紙を正面に向けて陳列する方法だ。本来は目立たせるためにする陳列方法だが、そんなことを考えていては開店時間に間に合わない。とにかく少ない冊数の本は面陳。どうせ後で店長がチェックしに来る。その時に手直しすればいい。小言のうるさい店長だから、どう陳列したところで必ず文句を言ってくる。だが、どの本が売れるかなんて誰にも分からないのだ、結局。

 

 およそ一時間をかけて今日の新刊を片付けると、今度は昨日の売り上げの中の、商品券や図書カードでの売り上げ分を、レジの明細と突き合わせる。差異があるときは厄介だ。特に足らない場合は、うちの店が立て替えなければならなくなる。さっきまでの肉体労働による筋肉の張りが、いつも指先の力の入れ具合に不調をきたしてしまう。指先がうまく滑らず、商品券や図書カードの数え間違いをしやすくなる。僕は、ため息にも似た深呼吸を一つしてから、取り掛かる。

 

 後ろを振り返ると、文庫本や雑誌の返品の山が、所狭しと積み上げられている。

 書店に就職した当初、こんなにも多くの本が一日に出版され、またこんなにも多くの本が返品されていくことを知り、驚いたものだ。一日千冊以上の返品をする際、一頁もめくられなかった本たちの呻き声が聞こえてくるようだった。

 時代が違えば受け入れられたであろう本も数多くあるだろう。

 『本』は、何が正解で何が不正解かという境界線が、ひどく曖昧だ。

 

 「今日の予算は37万円。売れ残りそうな雑誌はツイッターに情報をあげて、売り切ることを徹底するように。何としても予算の85%は達成しないと私がつるし上げられるんだからね、Zoom会議で。わかった?」

 店長は背中越しに僕にそう言いながら、パソコンに齧り付くように本部への昨日の売り上げの報告のメールを打っている。

 

 僕は、本が好きだったから書店員になった。

 あの頃の僕の本への見方と、今の見方は、どうだろう?

 単に『小売業者』として本を扱っているだけで、今も好きだと言えるだろうか?

 

 分からなくなったまま、今日も開店前の朝礼の時間が来る。

 社是を言わされる。

 

 「地域に愛される書店であり続けよう」