苦しみが最初にあります。苦しんだ体験があるからこそ、幸せだと感じることができるのです。赤ん坊がおぎゃあと産声をあげこの世に生まれて来る、肺呼吸に切り替わる、その瞬間の苦しみは、人生の中でも最も苦しいのだと、昔読んだ科学雑誌に書いてありました。僕たち人間は、人生最大の苦しみを人生の最初に経験するわけです。
他の視点から見てみましょう。
シャトーブリオンやキャビアやフォアグラばかりを食べている人間が、うなぎを食べたとしても、そんなに特別うまいと感じないでしょう。でも、毎日食うか食わずかの生活をしている人が、うなぎを食べたとしたら・・・。
僕たちの求める幸せというのは、幸せの中には無いのではないでしょうか?
苦しみの中にこそ、幸せがある、そう言えないでしょうか?
「じゃあ、生まれた時から両親に虐待されて、死んでしまった子たちは、どうなんだ?その子たちも幸せだったのか?お前の理屈じゃあ、その子たちも幸せだったということになっちまうじゃないか」と、お叱りの声もあるでしょう。
僕の答えは、その子たちも幸せなのだということです。
僕たちは死ぬまで、苦しみ続けます。苦しみの無い、100%幸せだけ、という経験を、あなたはしたことはありますか?どんなにうれしいことにも、どこか後ろ髪を引かれるような苦しみを伴う、そんな感覚でしか生きているうちに経験する幸せというのは無いと思います。時間が流れている以上、うれしい状態が変質していってしまうことを止めることはできないからです。うれしい状態にいつまでも留まることは不可能なのです。
そこから解放されるのは、死ぬ時、その瞬間だけなのです。
極論かもしれませんが、虐待死してしまった子たちも、その人生の密度が僕たちと違うだけなのだと思います。その子たちの声なき声は、生きている。僕たちの心の中で、いつまでも脈々と受け継がれていき、きっと僕の寿命が尽きた後も、誰かの心の中で生き続けるのです。
それを思うと、今、僕たちが悩まなければいけないことなど、どこかにありますか?
今よりも、もっと。あいつよりも、もっと。
そんな欲ばかりたけて、何か良いことはありますか?
と、なんかで禅の坊さんみたいな人が言っていたことを書いてみました。