流れ

僕の奥底に、一体何があるだろうか?一時期、そのことばかりを考えていました。

僕にしか書けない文章、あるいは表現があるとしたら、僕を構成する根源的なものにそのヒントがあるはずだ、と。

そうやって自分の中をじっと見つめていくと、突き当たったのは、「流れ」でした。

固定された考えではなく、何もかもが流れている状態、それが僕の奥底にあるのだと思いました。

ただただ流れていて、完全に掴むことはできない。それが僕の本質だと気づきました。

流れる方向を予測したり、一時的に堰き止めたりすることは出来ますが、完全にコントロールすることはできません。それが「僕」なのかどうかも、あやしい。そう考えると、かなり不気味なものと人生を共にしてきたのだなと思います。

「流れ」といっても、それはイメージ出来るものではありません。考えていった結果、「流れ」としか言いようがないということです。ですので、川の流れのようなものを単純にイメージされると、僕の言っている流れとは齟齬があります。

無常観というものがありますが、それとも違います。得体の知れない流れが確実にあるからです。

言葉で言い表そうとすると、限界があるかも知れません。かと言って何かの修行をして理解、体得する類のものでも無い気がします。

 

例えば、あるベストセラー小説があるとします。

小説というのは文章の集合体です。そして文章は、読む人によって受ける印象というのが違ってくるはずです。ですが、それを読んだ多くの人が一様に「感動した」と言うのです。もちろん、つまらなかったという人もいます。

僕は、本来なら、感動もつまらないも無い、というのが小説だと思うのです。

それは、文章とは、読む人によって受ける印象が違うはずだからです。小説は文章の集合体なので、行き着く先は皆てんでバラバラなはずです。つまり皆、各々違った印象を受けるはずなのです。しかし現実は違う。これはどういうことでしょうか?

 

流れている。何もかもが流れている。そう直感的に思うのです。