距離

 「人とうまくやっていくには、『距離感』が大事」

と、大学卒業直前、「お前は人付き合いが下手だったな」という意味を肚に含んだかのように、大衆居酒屋で同じゼミだった人間にそう言われた時の情景が、今でもありありと思い浮かべられます。

 

 人とうまくやっていくには、距離感が大事だと、今の僕もそう思います。

 

 しかし、それは突き詰めていくと、「誰とも人付き合いをしない」という裏腹な結論に帰着すると思います。

 

 人と距離を取ることは、その人から離れることであり、それを自分の周りの人すべてに適合させるとすれば、自ずと孤独になるからです。

 きっと、人付き合いをしていて、ふと孤独感を感じる時があるのは万人に言えると思うのですが、それはおそらく、この原則が働いているからだと思います。

 真の意味での人付き合いが、この世では難しい、もしくは出来ないというのが実情だろうと推測できます。それは親きょうだい、であっても、です。

 

 しかし、人と距離を取ることにより見えてくるものもあると思います。

 

 自分自身との距離、というものです。

 

 人は常に意識がある限り、自己と対話し続けています。『考える』ということが、自己との対話そのものだからです。死ぬまで自分と付き合い続けるわけです。

 

 ならば、『自分自身との距離の取り方』という考え方があってもいいのではないか?

 

 そう思った時、それはおそらく、『表現のあり方』に帰結していくと思いました。

 自己との対話の際、どの表現を使うか。自己との距離感をはかるには、おそらく表現の仕方によってのみ可能だと思います。自分を安心させるのも、苛立たせるのも、究極的には自己への表現の仕方によると思うからです。

 且つ、そこには、『自分は一人である』という一般的な常識は通用せず、『自分というのは計り知れない存在である』という事しか正確には誰も言えないと思います。

 自分を分かろうとすればするほど、分からなくなるからです。

 

 しかし、自己との対話によってのみ、自分という存在を意識することができ、その対話を通じてのみ、自己に変化が起こるのです。不思議なことですが、これが誰の身にも起きている、ありのままの姿だろうと思います。

 

 自分と自分との距離感を埋めるものが、表現だと、僕は思います。