イタい奴

 先日、某SNSサイトに自分の考えを投稿したところ、「文学チックでイタい。こんなイタい文章を書く人とSNSで繋がってることが会社の人に知られたら、自分までイタい奴と思われるから削除して」と言われました。迷惑が掛かるのなら消すか、と思って削除しました。その人について、どうこう思うことはありません。ただ、SNSで文学チックなことを書いている人と繋がっているだけで会社に居づらくなるような会社には、僕は居たくないなぁ、と思いました。

 その後、ふと世界史の勉強がしたくなり、メルカリで教科書を300円で買い、勉強し始めました。そこで思ったのが、日本が、どれだけ『空気を読む』ということを重視してきたか、ということです。前24世紀ころのエジプトでは、国を統治するためにハンムラビ法典が発布されました。その頃の日本はまだ縄文時代弥生時代あたりです。ギリシア、ヨーロッパ文明でも前8世紀あたりから民主制というシステムに気付き、広く議論して物事を決めていくということが興ります。その頃、日本はというと、ようやく『クニ』という政治的まとまりに気付きはじめます。日本人が、法による支配に気付くのは604年の憲法十七条です。

 何が言いたいかというと、『集団生活をするのに法律が要らなかった時代が何千年間もあった』ということです。つまり、皆、何となくこれはやっちゃいけないな、あれならやっても良いだろうなという、『察する』ことで集団をまとめ上げていたわけです。それが哲学や自然科学と照らし合わせて整合性があるかどうか、という議論など一切行われないまま、ただひたすら何千年も田んぼを耕していたのが我ら日本人のご先祖様なわけです。そのDNAを受け継いでいるからこそ、集団から浮くことを極度に毛嫌いし、浮いた人間をイタい奴と認定して叩く、または排除するのだと思いました。

 このコロナ禍を克服するためのワクチン開発もしかりです。日本は独自のワクチン開発に数百億円しか予算を投じていません。アメリカやイギリスは一桁違います。ワクチンを創り出すのには、研究者の地道な努力も必要でしょうが、発想の転換というブレイクスルーが要るのだと思います。常に周りの目ばかり気にして生きて来た日本人の苦手分野なわけです。政府もそれが分かっているから、それだけの予算しかつけないのです。アメリカさん、イギリスさん、がんばってワクチン開発してね。それまでは皆でマスク、マスク。手洗い、手洗い。そういう集団行動は得意分野なわけです。本当に国によって考え方が全然違うんだなぁ、とこのコロナ禍で僕は痛感しました。

 

 僕が某SNSで書いた記事は、『人間は生まれたときから死に向かってカウントダウンしている。いわば死ぬために生きていると言っても過言ではない。だとしたら社会的成功など微々たるものだ』という趣旨のことを書いただけなのですが、誰もが羨むような大学を卒業し、大企業に勤めて、結婚もして子供もいる人からすると、『低学歴で、無職で、家庭も持ってない人間が、なにを悟ったようなことを言っているんだ。こいつ、イタい、イタすぎる』と、こうなるのでしょう。

 だったら削除して欲しいとか言わずに、友達登録を解除すれば良いのに・・・。と思ったり思わなかったりしました。

 そんだけです。